旧東海道沿いの由比町町屋原区に伝わる正月の祭礼であり、産土神である豊積神社を中心として、地区を挙げて行われる街道筋の漁業の町の祭りである。若者組が機能していた頃は、青年が祭りの全てを取り仕切った。地元では、祭りの起源として、坂上田村麻呂の蝦夷平定の祝いのため奉納したと伝える。元日の正午過ぎ、「わたりぞめ」と呼び、太鼓を御神体にした若者の一群が豊積神社を出て、町内を巡る。二日には、「入れ太鼓」と呼び、祝い事のあった家に招かれ、その家の中に入り込んで、太鼓を打ち鳴らし、唄を歌う。この唄は七・七・七・五の甚句形式のものである。三日の朝まで、夜通し「送り太鼓」がたたかれる。三日の早朝、豊積神社に戻り、「洗い太鼓」で、水を太鼓、若者にかけて最後の太鼓、歌が奉納される。太鼓を御神体とし、若者の通過儀礼の行事として県内でも数少ない祭りである。
由比のお太鼓祭(ゆいのおたいこまつり)
静岡市
県指定
豊積神社お太鼓祭り保存会
1月1日
豊積神社(静岡市清水区由比町屋原185)
例年1月1日~3日に開催
旧東海道沿いの由比町町屋原区に伝わる正月の祭礼であり、産土神である豊積神社を中心として、地区を挙げて行われる街道筋の漁業の町の祭りである。若者組が機能していた頃は、青年が祭りの全てを取り仕切った。地元では、祭りの起源として、坂上田村麻呂の蝦夷平定の祝いのため奉納したと伝える。元日の正午過ぎ、「わたりぞめ」と呼び、太鼓を御神体にした若者の一群が豊積神社を出て、町内を巡る。二日には、「入れ太鼓」と呼び、祝い事のあった家に招かれ、その家の中に入り込んで、太鼓を打ち鳴らし、唄を歌う。この唄は七・七・七・五の甚句形式のものである。三日の朝まで、夜通し「送り太鼓」がたたかれる。三日の早朝、豊積神社に戻り、「洗い太鼓」で、水を太鼓、若者にかけて最後の太鼓、歌が奉納される。太鼓を御神体とし、若者の通過儀礼の行事として県内でも数少ない祭りである。