舞台に車輪を装着したら、そのまま移動舞台、つまり曳山船舞台となる。元来はそういう形態で行われたものと考えられる。橋掛りで楽座と舞殿を隔てた小国、天宮神社とは異なっている。この橋は現世と神の世をつなぐ意味があるもので、これを持たない山名神社の舞楽殿は、この芸能が本来、疫神、御霊を鎮め、葬送する祭儀に合わせて神輿渡御にしたがい、移動する必要があったからと思われる。つまり疫神送りの風流であった。 明応5年(1496)摂津の天王寺から伝来されたが、1度絶え、慶長11年(1606)に再度大坂の天王寺より伝習して復活されたという。舞はすべて子供が舞う。舞楽もどきの八初児舞、御子舞、迦陵頻舞などと鶴舞、竜舞、蟷螂舞などの動物を擬態し、もどく芸などおかしみを本来演出したもどき芸で構成される点から、侏儒の芸が稚児による童舞に発展したプロセスがたどれる貴重な芸能といえよう。足の運びにも、「砂占」と呼ぶ、浜砂に足をつけて、波がそれをどのように消し去るかで吉兆を占う呪師芸をよく残す。本家四天王寺でも遠い時代に亡びた童舞を今、唯一想起できる芸能といえよう。(出典:「ふるさと静岡県文化財写真集」4)
遠江森町の舞楽 山名神社の天王祭舞楽(とおとうみもりまちのぶがく やまなじんじゃのてんのうさいぶがく)
森町
国指定
山名神社天王祭舞楽保存会
7月13日 〜 7月14日
山名神社(森町飯田)
7月15日に近い土・日曜日に開催
舞台に車輪を装着したら、そのまま移動舞台、つまり曳山船舞台となる。元来はそういう形態で行われたものと考えられる。橋掛りで楽座と舞殿を隔てた小国、天宮神社とは異なっている。この橋は現世と神の世をつなぐ意味があるもので、これを持たない山名神社の舞楽殿は、この芸能が本来、疫神、御霊を鎮め、葬送する祭儀に合わせて神輿渡御にしたがい、移動する必要があったからと思われる。つまり疫神送りの風流であった。
明応5年(1496)摂津の天王寺から伝来されたが、1度絶え、慶長11年(1606)に再度大坂の天王寺より伝習して復活されたという。舞はすべて子供が舞う。舞楽もどきの八初児舞、御子舞、迦陵頻舞などと鶴舞、竜舞、蟷螂舞などの動物を擬態し、もどく芸などおかしみを本来演出したもどき芸で構成される点から、侏儒の芸が稚児による童舞に発展したプロセスがたどれる貴重な芸能といえよう。足の運びにも、「砂占」と呼ぶ、浜砂に足をつけて、波がそれをどのように消し去るかで吉兆を占う呪師芸をよく残す。本家四天王寺でも遠い時代に亡びた童舞を今、唯一想起できる芸能といえよう。(出典:「ふるさと静岡県文化財写真集」4)