城取り合戦
戦国の世、天下をかけた、兵どもが夢の跡へ。
東西交通の要衝である静岡県では、古来より多くの武将たちが戦いを繰り広げてきました。県内には、激しい戦いの歴史を伝える大小700余もの城跡が残されています。
戦国時代、この地は、今川・徳川・武田等の戦国大名が群雄割拠していました。
しかし1560年、桶狭間の戦いで駿河・遠江(とおとうみ)・三河を領した有力な戦国大名の今川義元が討死したことで、地域のパワーバランスは崩れます。
これを機に、徳川家康と武田信玄は、「今川氏の領地について大井川を境に分割する」との密約を結びました。そして、家康は遠江(県西部)に、信玄は駿河(県中部)に勢力を拡げていったのです。
1568年、家康は今川義元の子、氏真(うじざね)を掛川城で破り、遠江全域の統治をめざします。しかし、信玄は密約を破って遠江に侵攻。ここから、二俣城、高天神城などを舞台に、徳川と武田は合戦を繰り広げていきます。
戦国の世、天下をかけて戦い続けた武将たち。その想いを馳せながら、兵どもが夢の跡を巡ります。
Index
家康が今川氏を攻め落とした「掛川城」
掛川城は、遠江支配の拠点として、今川氏が家臣の朝比奈氏に築城させたものです。
1568年、今川氏真は武田信玄に居城の駿河を追われて、この掛川城に逃げ込みます。家康は籠城した氏真を攻めて、半年にわたる攻防の末、掛川城を開城させました。これにより、戦国大名としての今川氏は滅びます。
掛川城は徳川の城となりましたが、1590年に家康が東海から関東に移封されると、「内助の功」で有名な山内一豊が城主になります。一豊は掛川城を改修し、天守閣などを建造しました。
なお、現在の天守閣は、1994年に日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
掛川城御殿(二の丸御殿)[国指定建造物]は、掛川城の天守閣の東側にある書院造の建物です。もともとは本丸に御殿が建てられていましたが、老朽化や災害などにより二の丸に移りました。現在の御殿は、江戸時代末期に再建されたもので、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして利用されていました。
現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国に4つしかない貴重な建造物であり、国の重要文化財に指定されています。
また、掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、花見の名所にもなっています。
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掛川城御殿[国指定建造物]
住所/静岡県掛川市掛川1138-24
電話:0537-22-1146
駐車場:あり
見学所要時間(参考):60分(天守閣・御殿を含む)
徳川と武田が奪い合った、難攻不落の「高天神城」
「高天神を制する者は遠江を制す」とうたわれた高天神城(跡)[国指定史跡]は、複雑に入り組んだ尾根をもつ鶴翁山(かくおうざん)の地形を巧みに利用して築城されました。
東峰に本丸、西峰に西の丸を配置した「一城別郭(いちじょうべっかく)」の城であるため、片方(本丸)が攻め込まれても、もう一方(西の丸)を中核に戦い続けることができました。また城の周囲は断崖や深い谷に守られており、全国にその名をとどろかせた「難攻不落の山城」です。
1560年の桶狭間の戦いの後、家康は城主の小笠原氏助(おがさわら うじすけ)を取り込み、高天神城を徳川方の城にします。しかし1574年、武田勝頼に2万5千の大軍で攻められて落城。高天神城は武田方の城となります。7年後の1581年、信長の支援を受けた家康は、周囲に砦を築くなど徹底した包囲策により、再び奪い返します。難攻不落の高天神城は、徳川と武田の争奪戦の舞台となりました。
見学にあたっては、各所に石段や山の道が残るため歩きやすい服装や運動靴をおすすめします。
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高天神城跡[国指定史跡]
住所:静岡県掛川市上土方嶺向
電話:0537-21-1121(掛川市観光交流課)
駐車場:あり
見学所要時間(参考):60分
高天神城奪還のために築城された「横須賀城」
家康は、勝頼から高天神城を奪還するため、周囲にいくつもの城や砦を築きました。横須賀城(跡)[国指定史跡]は、高天神城攻めの拠点となった城です。山城と平城の中間のようなつくりの城で、東西に二つの大手門をもつため「両頭の城」と呼ばれました。
横須賀城の特徴は、丸い河原石を積み上げた、玉石積みの石垣です。横須賀城跡には、「玉石垣」が復元され、角石の石垣とは異なる柔らかな曲線が優美な印象を与えます。このような石垣は江戸時代に整えられたものですが、現在も一部、当時の石垣も残っています。
築城当時は、横須賀城の近くまで海が入り込んでいました。このため、掛川城の外堀だった逆川を利用して、掛川城と舟で行き来することができたと考えられています。
また、横須賀城の城下町の散策もおすすめです。街道沿いには、切妻・平入・二階建ての商家や仕舞屋が軒を連ねていて、かつての町人町の姿をよく残しています。
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横須賀城跡[国指定史跡]
住所:静岡県掛川市山崎字外堀1-1
電話:0537-21-1121(掛川市観光交流課 観光交流係)
駐車場:あり
見学所要時間(参考):30分
家康が築いた高天神六砦の一つ「獅子ヶ鼻砦跡」
獅子ヶ鼻砦(ししがはなとり)(跡)[市指定史跡]は、家康が高天神城を包囲して攻撃するために、小笠山砦(笹ヶ峰御殿)・中村砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦・三井砦ともに築いた「高天神六砦」の一つです。1580年6月に築城され、家康の家臣である大須賀康高(おおすが やすたか)が守っていたと言われています。
獅子ヶ鼻砦へは、隣接した蓮池公園から登ります。公園の階段を上がると、砦跡の展望台に出ます。ここからの眺望は素晴らしく、東に富士山の絶景を望むことができます。
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獅子ヶ鼻砦跡[市指定史跡]
住所:静岡県菊川市大石2084
電話:0537-73-1114(菊川市社会教育係・スポーツ振興係)
駐車場:あり(蓮池公園駐車場利用)
見学所要時間(参考):10分
北遠の要衝にある激戦の山城「二俣城」
二俣城(ふたまたじょう)(跡)[国指定史跡]は、天竜川と二俣川が合流する断崖の上に築かれた城です。天竜川水運と秋葉街道をつなぐ、北遠の要衝の地だったことから、高天神城とともに、川と武田の激しい攻防の舞台となりました。
1572年、信玄は家康との密約を破って遠江に侵攻。二俣城を攻めて、武田方の城にします。1576年、家康は長篠の戦いで敗れた勝頼から二俣城を奪い返すと、ここを北遠防衛の拠点としました。
また二俣城は、「悲劇の城」としても知られています。1579年、父の家康に命じられて、長男の信康がこの城で切腹したからです。二俣城から歩いて5分ほどの清瀧寺には、信康の墓があり、丁重に祀られています。
現在、二俣城跡は史跡公園として整備されており、県内最古級の天守台、石垣、堅堀、堀切などの遺構を見ることができます。この二俣城の南西には鳥羽山城(とばやまじょう)跡[国指定史跡]があり、二つの城は連携して攻撃・防御にあたる「別城一郭(べつじょういっかく)」の関係にあったようです。
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二俣城跡[国指定史跡]
住所/静岡県浜松市天竜区二俣町二俣983-1
電話:053-925-5845(天竜区観光協会)
駐車場:あり
見学所要時間(参考):30分
青年家康が激闘の日々を過ごした出世城「浜松城」
1570年、遠江を勢力下に置いた家康は、引間城を拡張改修し、浜松城を築城します。以後、駿府城に移るまでの17年間、武田軍との激闘の時代をこの浜松城で過ごしました。
浜松城は「出世城」とも呼ばれています。江戸時代の歴代城主のなかに、幕府の要職に登用され、出世した人物が多かったことが理由です。
天守台の石垣は、大小様々な形の石を積み上げた「野面積み」で、浜松城の大きな特徴です。2019年から始まった発掘調査では、浜松城本丸の北東隅の石垣の基盤部分、二の丸御殿の建物礎石と庭園の遺構が見つかりました。
現在、浜松城跡[市指定史跡]は、戦後に再建された天守閣・天守門を中心に公園として整備され、人々の憩い場になっています。
明治大正の情緒を味わう「竹の丸カフェ」
掛川城公園内の竹の丸[市指定建造物]は、明治時代、葛布(くずふ)問屋を営む商家松本家の本宅として建築されました。離れは大正時代に増築され、建具やバルコニーなどの意匠からは、古き良き大正文化の香りを感じることができます。
カフェでは、この空間で日本庭園を愛でながら、お茶とオリジナルスイーツが味わうことができます。人気メニュー「CHAVATAKE」は、サクッとした軽いダコワーズに濃厚掛川抹茶クリーム、掛川産不知火のコンフィチュールのお茶づくしのケーキで、茶畑をイメージしています。
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竹の丸カフェ
住所:静岡県掛川市掛川1200-1(掛川城公園内)
戦国時代の山城にタイムトリップ「高根城」
高根城[市指定史跡]は、南北朝時代、後醍醐天皇の孫尹良(ゆきよし)親王を守るために築城されたといわれます。戦国時代には武田軍の遠江侵攻の拠点として大改修されたと伝えられています。
2001年、発掘調査をもとにして城郭が復元整備されました。井楼櫓(せいろうやぐら)、主殿、城門などが復元され、戦国時代の山城にタイムトリップしたような気分を味わうことができます。
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高根城[市指定史跡]
住所/静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方160-1
電話:053-982-0013(水窪協働センター)
駐車場:あり
見学所要時間(参考):40分
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愛称「レガシズ」は、英語の「レガシー(legacy=遺産・財産・受け継いだもの)」と、静岡県の「シズ」から付けられました。
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